闇色の毛並みの親心(2)




 シープクレストには第一から第三まで三つの埠頭がある。
 第一埠頭は三つの中で最も古いもので、シープクレストがまだ旧市街しかなかったころから存在する。この埠頭のすぐ脇には、酒場が多数軒を連ねており、夜ともなると埠頭で働く者や船の船員などで賑わいを見せる。
 逆に第三埠頭は最も新しく、動物園や映画館、公園等の遊泳施設が集まっており、休日には家族連れやカップルなどでごった返す。
 そして今回通報を受けた第二埠頭は倉庫や商館が立ち並ぶ場所である。
 シープクレストは貿易を基礎として成り立っている。自然、他の街から来る船を停泊させる港も大きくなるし、その船が運んできた貿易品、逆にシープクレストから輸出する商品を保管しておく倉庫も大きものとなる。ここで働くのはほとんどが力自慢の男たちで、積荷の上げ下ろしは彼らの仕事である。
 普段は怒号と船の汽笛が響く埠頭が、今は異常な静けさに包まれていた。

「誰もいない……?」

 誰ともなく呟く。
 館内放送を聞いてもまだ寝ていたバーシアをたたき起こし、第二埠頭まで駆けつけたフルーフェザーの出動メンバー。だが、すでに魔物の姿はなく、それどころか人の姿さえない。

「みんな逃げたんじゃないの?」
「だとしてもだ。保安局の連中までいないってのはおかしいだろうが」

 事も無げに言うビセットにそう返す。
 常ならば、逃げ惑う人々や魔物に襲われた者。それを介抱する保安局の生活安全部の者たちで騒然としているのだが、今日に限って何の気配もない。

「どうすんの? ルシード」

 潮風にあおられた髪を押さえつけながら問うバーシアを一瞥し。思案するように視線を海へと移す。
 いつもなら引っ切り無しに聞こえる船の汽笛やエンジン音はなく、さざ波の音がするのみ。それなりにムードのあるときに聞けば風情のあるいい音なのだが、生あるモノだけが切り取られたようなこの異質な空間では、虚無感を煽るばかりだ。一度ゆっくりと眼を閉じて、そしてまた開く。埠頭に入った辺りから、わけもなく不安感が胸のうちにわだかまっている。
 小さくため息をつき、

「……とりあえず、みんなでその辺見回って……。フローネ、どうした? 顔色悪ぃぞ」

 みなの顔を見ながら指示を告げようとして、フローネの様子がおかしいいことに気づく。普段でもあまりいいとは言えない顔色がさらに青白くなっている。

「ホントだ。フローネ、顔真っ青だよ?」
「あ、いえ……」

 気遣わしげに腕に添えられたルーティの手に、フローネは自らの手をそっと重ねる。

「あの、その、具合が悪いとか、そういうわけじゃないんです……。ただ、なんていうか、身体が動かしにくいというか、不安というか……」

 うつむき加減で自信なく呟く。
 基本的に、フローネは具合が悪くとも悪いとは言わない。逆にあえて普段どおりに振舞おうとする。
 いや、フローネに限ったことではなく、ブルーフェザーのメンバー全員と言っていいほどの者が、本当に辛いときに限って強がってみせる。 無論、仲間に心配をかけたくないというのが一番の理由なのだろうが、幼い頃から育ってきた環境もあるのだろう。
 魔法能力者は『特殊』な人間だ。魔法が使えるだけでなく、普通の人には見えない幽霊や妖精までも実像として捉えることができる。そしてそのような者が極『普通』の人間の眼にはどう映るか。人は自分と違うものを畏怖し、蔑む。魔法能力者のほとんどが、幼少時代にいじめられるか腫れ物を触るように扱われることになる。その様な境遇に置かれれば、誰だって人に頼るということを上手く学べはしないだろう。幼い頃両親を亡くしているせいかフローネは特にその傾向が強かった。
 モノ言いたげな、フローネ以外の三人の視線がルシードに集まる。

「わかった。とりあえずフローネはここにいろ。ルーティ、ついててやれ」
「うん、了解」
「バーシアとビセットは俺について来い。この辺りを少し見回ってみる」

 バーシアとビセットが頷くのを確認してから、ちらりとフローネの様子を窺う。ルーティの言葉に二言三言返してはいるが、相変わらず顔色は思わしくない。
 おそらくここは霊的にな結界の中のだろう。フローネの具合が悪くなったのもそのせいだ。潜在的な魔法能力はかなり強いし彼女がこの結界にこめられた魔力を敏感すぎるほど感じ取ったとしてもおかしくない。とするとば事務所に返したほうがいいのだろうが、簡単に入れたからといって簡単に出られるとは限らない。

「ルシード?」

 黙り込んでその場から動こうとしないルシードを不審に思い、ビセットが覗き込んでくる。

「……いや、何でもねぇ。行くぞ」






「ルシード、あれ」

 埠頭を歩き回ること暫し。ビセットの指し示す方向に視線を巡らせる。

「なんだ、あれは?」

 積荷の物陰に身を潜めるように存在する黒い塊。一瞬埠頭に現れた魔物かとも思ったが、通報者によると魔物は2メートルぐらいの大きな黒い狼の様な姿だったという話だ。あれは確かに黒いが、そばにある積荷と比べても子供ぐらいの大きさしかない。
 とにかくここからでは遠すぎる、と歩みを進める。近づくたび段々とはっきりしていく輪郭。

「……人?」

 どうやら、黒い塊の正体は人間だったらしい。長くゆったりとした闇色のローブを身にまとい、積荷の横にうずくまっている。目深に被ったフードのせいで顔ははっきりと見えないが、僅かに覗く細い顎のラインと白く繊細な手の形で、その人物が女性であることが予想できた。
 3人の気配に気づいたのか、ローブの人物がゆっくりと顔を上げる。やはり女だった。年の頃は二十代半ばといったところか。スッとした目鼻立ちで、まあまあ美人の部類に入るだろう。瞳の色はルビーのような赤色で、フードの隙間から流れる髪はローブと同色の黒だ。
 女が戸惑いがちに声を発する。

「あの、皆さんは保安局の人たち、ですか?」

 ルシードは女の目線に合わせるようにその場に屈みこみ片膝をつく。

「ああ、四捜のもんだ。ここに魔物が現れたって通報を受けてな。あんたは? 魔物から逃げ遅れたのか?」

 だからこんな所に隠れてたのかと尋ねると、女は口元を緩め心底安心しきった笑顔を向けてきた。

「よかった。来てくださったんですねぇ。もう駄目かと思いました。私も、この子も」
「この子?」

 そこでルシードは初めて女が何が腕の中に抱き込んでいることに気づいた。今まで分からなかったのは、それが女の着ているローブとまったく同じ色と素材の布でくるまれていたためだろう。

「は〜い、この子です」

 顔立ちの割りに妙に砕けた物腰の奴だなと思いつつ、女が差し出してきた包みを覗き込むと、それに倣ってバーシアとビセットも屈んで覗こうとする。

「犬?」

 そう言ったのは3人同時だった。確かに犬だ。真っ黒な毛色をした子犬。手触りのよさそうな、健康的な毛並み。しかしそれとは裏腹に、子犬は固く目を閉じぐったりとしている。

「ああ、はい、そうですね。皆さんから見たら、犬か狼みたいですよね」
「……?」

 言われた言葉の意味がわからず、皆同じような顔できょとんとしていたのがおかしかったのか、女はくすくすと笑い声を漏らした。

「それ、犬じゃないの?」

 バーシアの問いに女は大きく頷く。

「はい、これでも立派な私の息子です」
「……えーっと、つまり、息子みたいにかわいがってる、と?」

 今度の問いには首を振る。

「いいえ〜。正真正銘、私の息子なんです」
「あーっと……」

 ルシードは額に手を当てる。なぜか頭が痛い。

「もしかしてあんた、魔物なのか?」

 しかしこの問いにも女は首を横に振る。

「いいえ〜。あ、でも皆さんのような人間にしてみたら、当たらずしも遠からずって答えたほうがいいですかね? 私魔族」
「は?」
「ですから、魔族なんです。……あら、私ったらまだみなさんに何の紹介もしてなかったんですね。やだわ〜」

 そう言って女は手首のスナップを効かせて手をパタパタと前後に振った。

「私はレーネと言います。この子はウォーレス。私たち、皆さんに助けていただきたいんです」





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