失くしたくない(後編)




 目を開くと、焦げ茶色の天井と上方に突き出されて自分の腕が見えた。心臓は早鐘を打ち呼吸も荒い。一度生唾を飲み込んで、大きく息を吐く。同時にどっと汗が噴き出て現実の感覚が戻ってくる。
 ここは宇賀家の自室で夢の中ではない。
 頬に妙な感覚があって、触れてみると涙の跡があった。けだるい身体を起こし、枕を確認する。随分泣いたらしく染みができていた。
 掛布団ごと膝を抱え、震えの納まらない身体を抱きしめる。
 真弘に拒絶されて、彼が手の届かないどこかに行ってしまうことが、震えるほど恐怖を掻き立てるものだとは自分でも考えもしなかった。それとも、昨晩、互いに背中を預合い、手を握り語らった時間があまりにも心地よかった反動だろうか。眠りに落ちる直前、もっと一緒にいたかったなどと欲張りなことを望んでしまったほどだ。
 繋がれていた手の温もりを思い出して、少し気分が落ち着いた。
 深呼吸を繰り返していると、廊下からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。こんな朝早くにどうしたのだろうと他人事のように構えていると、足音は珠紀の部屋の前で止まりほとんど間を置かずに障子が開け放たれる。

「珠紀無事か!?」

 今しがた思い浮かべていた人物が、ずかずかと無遠慮に部屋に押し入ってくる光景に呆気にとられていると、勢いよく両肩をつかまれた。

「何があった! ロゴスか!? カミか!? 怪我はねぇのか!?」

 一気にまくし立てて、常にない真剣な表情で見つめられる。
 たっぷり10秒ほどかけて彼の言葉を吟味し、出てきた答えは何とも間抜けなものだった。

「……とくに、何も」

 予想していた答えと大幅に食い違っていたのだろう。真弘は何か言いたげに口を開いてから、がっくりと大げさな動作で肩を落とした。苛立たしげな、それでいて呆れたような調子で続ける。

「……おまえなぁ、使い魔の躾くらいちゃんとしろよ」
「おーちゃん? おーちゃんがどうして……あれ? おーちゃんどこ?」

 いつもなら傍らで丸くなって寝ているはずのオサキギツネの姿はなく、珠紀の影の中にも気配はない。

「クリスタルガイならここにいるぞ」

 真弘は無造作に片腕を後ろに伸ばすと、オサキギツネを捕まえて珠紀の前に突き出す。子猫のように首根っこをつかむ持ち方に珠紀は眉間に皺を寄せた。

「猫みたいな持ち方しないでください。それに変な呼び方もしないでください」

 言いながら両手を出すとその上にオサキギツネを乗せてくれる。

「こいつあろうことか人の耳かじって起こしやがったんだぞ。反射的に攻撃しなかっただけでもありがたいと思え」
「おーちゃん、真弘先輩のところに行ったんですか?」
「ああ、切羽詰まった感じで俺をどっかにつれてこうとするからよ、お前に何かあったと思うじゃねぇかよ。で、急いで来てみれば、とくに何も? ったく、俺はかじられ損か」
「そ、それは申し訳ないです。もう、どうして真弘先輩を呼びに行ったりしたの?」

 問いかけても白く小さな使い魔は二股の尻尾をゆるゆると揺らすだけ。そのまま珠紀の手から飛び降りて布団に潜り込もうとしているオサキギツネを見つめながら、小さくため息をついて考えを巡らせる。今朝、自分が危険にさらされるようなことがあっただろうか。

(せいぜい夢見が悪かったぐらい……)

 思考が夢の内容にまで及んだ時に、はたと気が付いた。はたして夢の中で自分は何をしていたか。泣きながら手を伸ばし、真弘の名前を呼んでいた。目覚めたとき、天井に向かって手を伸ばし枕が濡れるほど涙を流していた状況から察するに、寝言で何と言っていたかは想像するに難くない。

「ぅわ……」

 思わず声が漏れた。体中の血がすべて顔に集まってきたのかと思うほど顔が赤くなる。

「急にどうした? やっぱなんかあんのか」

 あたふたと挙動不審な行動をする珠紀に真弘が怪訝な顔をする。

「い、いえ、なんでもないです」

 火照った顔を見られたくなくて背けようとすると、頬に手が触れて遮られる。

「目も赤いな。熱でもあんのか?」

 添えられた手には驚いたが、見つめる瞳に気遣わしげな色をみつけたため抵抗はしなかった。
 普段の言動からは想像もできない静かな表情で見つめられると、幼い外見をしていても彼が年上の男性なのだと意識させられる。少し緊張しながらもはっきりと答えた。

「熱は、ないです。ちょっと嫌な夢を見たんですよ。きっと私がうなされていたからおーちゃんが心配してくれたんですね」

 離れかけていた真弘の手をつかんで自ら頬に押し当てる。夢の中ではつかめなかった温もりを感じられたのがうれしくて微笑む。

「でも、もう大丈夫です」

 大丈夫。この人がいてくれたら。奇妙な間があって、真弘の手がピクリと強張る。

「だ、だったら、俺はもう部屋に戻るぞ」
「あ……」

 疑問を口にする間もなく手はするりと抜け落ち、彼はすでに出入り口に向かって歩き出していた。

「あ、あの」
「なんだ、まだなんかあんのか」
「いえ、その、来てくれてありがとうございました」

 真弘は振り向かず軽く片手をあげてそのままでていった。

「ちょっとわがままだよね」

 本当は、もう少し一緒にいたいと言いたかった。しかし異変を感じて駆けつけてくれた真弘にそれ以上わがままを言えるはずもない。
 この感情がどういった類のものかはもうわかっている。ただ、それとは別の意味で同じことを考える。そばで一緒にいないと、いなくなってしまいそうで不安だった。
 距離が近づくたびに大きな隔たりが鮮明になる。決して踏み入らせてはくれない。
 守ると言ってくれた。落ち込んでいるとさりげなく励ましてくれた。口では何と言っていても、ずっと気にかけてくれていた優しい人。その人のために自分も何かしたいのに。
 夢の中、膝を抱えてうつむいていた幼い彼は何を想っていたのだろう。己の夢の中でさえ、彼に何もしてあげることができなかった。
 強くなりたい。そう心から願った。




前編












 

†あとがき†

 初の緋色&リハビリ一発目の小説。
 まったくキャラがつかめておりません。
 もっとゲームやりこまないとなぁ。
 内容いろいろ詰め込みすぎちゃったかな。

 




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